一、まず、日本国憲法には憲法24条1項で「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と明記し、2項で「配偶者の選択に関しては法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と謳っています。
次に、国際連合はアメリカ案に続きソ連の案を採択し、「働く婦人のあらゆる差別の撤廃に関する条約」を採択し、多国間条約として各国に批准を迫りました。
当時の日本国政府は困りました、理由は当時の日本国は男女平等の国ではなかったからです。
二、次に、憲法14条は1項で「すべて、国民は法の下に平等であって性別により政治的・経済的又は社会的関係において差別されない。」と明記されています。
これは、立法者拘束説と言ってあらゆる法律に盛り込まれています。
次にこの規定は「法内容の平等」と言って明治憲法の「法の前の平等」の「機会均等主義」の平等とは違い、実効性を求めてくる規定なのです。
三、しかし、『合理的差別』は認めます、本条は公的関係には適用になってきますが私的関係には間接適用であるために、「大きな政府」「小さな政府論」として議論されます。
そして、合理的差別の根拠は主に憲法13条になるのです、13条は多くの事を定めていますが、自由権の源ということで、ここでは個人の人格と尊厳と解釈されればまずは良いと思います。
当時、男女差別は憲法13条に見て合理的差別だったのです。
憲法24条は憲法14条1項の「性別」という部分を1項で婚姻、2項で「配偶者」と個別具体的に明記されています。
1項はさておき、2項ですが憲法13条に譲りを入れてあります。
個人の人格と尊厳と言う自由主義に重きを置いていると考えられます。
本規定は「パンドラの壺」から解き放たれた悪魔どもが頼りにする規定であります。
現に、政府も「差別撤廃条約」と呼んでいる「働く婦人のあらゆる差別に対する条約」だったのですから、未亡人、または離婚して子供を育てる女性の差別を撤廃する国内法を作ればよかったのです。
国は二元論という理論を採っており条約と国内法は別で条約は違憲立法審査権の対象にならないという立場をとっています。
この要に男女平等と言う考え方は発展途上国の考え方が横行し、女性の幸福追求権=個人の人格と尊厳という自由主義的解釈には到らないのが現状です。
日本国政府はなんと、「男女雇用機会均等法」を制定しました。
そして現在、「男女共同参画社会」という目標を政府は掲げています。
四、しかし、男女共同参画社会活動は日本の伝統文化を破壊する新しい社会主義だ、という考えがあります。
私は、男女共同参画社会とはこの御著書に書かれてある「家庭愛和」であると思います。
男女平等は良いのですが、女性は労働に向いているのでしょうか。
昔の日本では女性を働かせる男性は出来の悪い男性と言われていました。
今の日本は出来の悪い男性が多いのではないのでしょうか?
御著書では鎌倉時代の初めに、天台座主の慈円が書いた「愚管抄」に、日本は「女人入眼」の国と書いてある・・・・とあります。
「入眼」とは絵を描いて最後に眼晴を描きいれること、絵を完成させることです。
日本では昔から物事を完成させて次の世に伝えるのは女性でなければならない国であった、とかかれてあります。
今、「自然に帰れ」と言う事が言われています、そして憲法学は自然法なのです。
アメリカ合衆国は元来家庭にいなければいけない女性も西部開拓のためにインヂィアンと戦った、そして定住性が強い女性が西へ西へ移住していった、そのストレス=フラストレーションがウーマン・リブだという説があり注目されています。
従って、ここに憲法14条・24条1項にGHQの占領政策があるように思えてなりません。
御著書「倫風随想」には最高法規性という見地から日本国憲法の条文を超えたコモン・ローがあるように思えてなりません。
経済発展のための核家族化はいつまで続けなければならないのか。
経済繁栄の目的は何なのか?
家は経済単位の基本にならないのか?考えさせられるところです。
以上
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