2011年08月10日

女人入眼




一、まず、日本国憲法には憲法24条1項で「婚姻は両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と明記し、2項で「配偶者の選択に関しては法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」と謳っています。
次に、国際連合はアメリカ案に続きソ連の案を採択し、「働く婦人のあらゆる差別の撤廃に関する条約」を採択し、多国間条約として各国に批准を迫りました。
当時の日本国政府は困りました、理由は当時の日本国は男女平等の国ではなかったからです。
二、次に、憲法14条は1項で「すべて、国民は法の下に平等であって性別により政治的・経済的又は社会的関係において差別されない。」と明記されています。
これは、立法者拘束説と言ってあらゆる法律に盛り込まれています。
次にこの規定は「法内容の平等」と言って明治憲法の「法の前の平等」の「機会均等主義」の平等とは違い、実効性を求めてくる規定なのです。
三、しかし、『合理的差別』は認めます、本条は公的関係には適用になってきますが私的関係には間接適用であるために、「大きな政府」「小さな政府論」として議論されます。
そして、合理的差別の根拠は主に憲法13条になるのです、13条は多くの事を定めていますが、自由権の源ということで、ここでは個人の人格と尊厳と解釈されればまずは良いと思います。
当時、男女差別は憲法13条に見て合理的差別だったのです。
憲法24条は憲法14条1項の「性別」という部分を1項で婚姻、2項で「配偶者」と個別具体的に明記されています。
1項はさておき、2項ですが憲法13条に譲りを入れてあります。
個人の人格と尊厳と言う自由主義に重きを置いていると考えられます。
本規定は「パンドラの壺」から解き放たれた悪魔どもが頼りにする規定であります。
現に、政府も「差別撤廃条約」と呼んでいる「働く婦人のあらゆる差別に対する条約」だったのですから、未亡人、または離婚して子供を育てる女性の差別を撤廃する国内法を作ればよかったのです。
国は二元論という理論を採っており条約と国内法は別で条約は違憲立法審査権の対象にならないという立場をとっています。
この要に男女平等と言う考え方は発展途上国の考え方が横行し、女性の幸福追求権=個人の人格と尊厳という自由主義的解釈には到らないのが現状です。
日本国政府はなんと、「男女雇用機会均等法」を制定しました。
そして現在、「男女共同参画社会」という目標を政府は掲げています。
四、しかし、男女共同参画社会活動は日本の伝統文化を破壊する新しい社会主義だ、という考えがあります。
私は、男女共同参画社会とはこの御著書に書かれてある「家庭愛和」であると思います。
男女平等は良いのですが、女性は労働に向いているのでしょうか。
昔の日本では女性を働かせる男性は出来の悪い男性と言われていました。
今の日本は出来の悪い男性が多いのではないのでしょうか?
御著書では鎌倉時代の初めに、天台座主の慈円が書いた「愚管抄」に、日本は「女人入眼」の国と書いてある・・・・とあります。
「入眼」とは絵を描いて最後に眼晴を描きいれること、絵を完成させることです。
日本では昔から物事を完成させて次の世に伝えるのは女性でなければならない国であった、とかかれてあります。
今、「自然に帰れ」と言う事が言われています、そして憲法学は自然法なのです。
アメリカ合衆国は元来家庭にいなければいけない女性も西部開拓のためにインヂィアンと戦った、そして定住性が強い女性が西へ西へ移住していった、そのストレス=フラストレーションがウーマン・リブだという説があり注目されています。
従って、ここに憲法14条・24条1項にGHQの占領政策があるように思えてなりません。
御著書「倫風随想」には最高法規性という見地から日本国憲法の条文を超えたコモン・ローがあるように思えてなりません。
経済発展のための核家族化はいつまで続けなければならないのか。
経済繁栄の目的は何なのか?
家は経済単位の基本にならないのか?考えさせられるところです。


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若き日の猜疑




一、まず、今「ノアの方舟」が確認されて、倫理は、朝おきは重要な要素になってきました。
それは、宗教的道義が科学で立証される時代が来たからです。
非倫理的人間は人間ではなく獣(けもの)である事が同時に科学で立証されることになり、非道徳な人間を差別することは「合理的差別」であるという時代がやってきました。
今、信じられない時代がやって来たと思います。
科学は20世紀人間の動物的側面だけが発達し、この科学の新興は「無神論」につながりました。
しかし、21世紀には人間の霊長類的側面、即ち道徳・倫理観的側面が発達してきています。
朝おきは人間のホルモン分泌に良いとか。
今、「ノアの洪水」が無かった神話だとか言う人は科学的に遅れているということになります。
二、次に今、「立身出世欲」という煩悩に恐れおののいています。
これは「馬場信房」のところでも書きましたが古くは中島敦氏の「山月記」で有名でした。
私はこのくだりは極めて重要であると考えます。
やがて虎になって行くという。
私は、行政書士を平成10年に開業しました、そして直ぐ会の「理事」の話が来ましたが会長が選挙に負けてしまいました。
そして、その他の連中の出世意欲には驚かされました。
それは政治は汚い、・・・。
しかし、応報因果刑と言うものを感じます、今の行政書士制度は崩壊寸前まで来ています。
「カバチタレ」なるマンガへの名称使用容認。
そして、なんと逆の執行権司法権の「弁護士の仕事」の始め、そして司法書士さんの法務省法務局「登記」業務、そしてありとあらゆる業法違反。
行政書士制度はそもそも、昭和58年の改正で61年に事実上、国家資格になりました、各都道府県が出題・採点し始めたのです。
それ以前は昭和26年に法律は成立していました。
これは「行政不服審査法」上の異議申立・審査請求を書かせるために(代理人申請)させるために生まれなおしたのです。
そして、このとき明治の「訴願法」=行政不服審査法も大きく改正されました。
「行政」の専門家に任せたものでした。
三、しかし、行政書士は肝心のこの分野が弱いです。
頭がおかしくなる、これは「倫理観の欠如」から科学的に来ています。
三つの恩を忘れず、行政書士試験は司法試験と違って非常に試験は簡単です、総務省・各県庁に恩を感じなかったらおかしいです。
しかし、実務は厳しいのです、私はこの点「師」を求め続けました、依頼者に最高の「行政サーヴィス」をそして遂に行政法の大家、兼子 仁教授にお会いしました。
若き日の「牛」は必死で来る日も来る日も「行政法」を勉強しました、
そうしたら行政法は毎年のように変わり、現職の行政書士で無いとやっていけないぐらいになりました。
勉強はきつかったです、しかし、お陰で「行政書士講座の講師」も福岡県庁ハローワーク講師も経験し、やがて道路交通法を改正し、交通事故死亡者を減らす幸運に恵まれました。
これは、倫理のお陰です、人間の奇跡は恩に報いようとする時に偉大なる力を発揮します。
これは科学が証明しなければいけない事案でしょうか。
四、しかし、他の人間は感謝の気持ちを持たず文句ばっかり言っていました。
皆さん、司法書士さんの「登記」を仕事としてやる行政書士を見てどう思われますか?
弁護士の仕事をやっている・・・とか?
行政書士の世界は不思議です、反社会的な行為=非倫理的な行為を行えば自然界の報復が待っているように感じます。
「たたり。」????
しかも行政書士会の幹部で、これは空前絶後の問題で、法務省の法制審議会という裁判官・検察官のOBの人のところで「行政書士は登記ができる『代理』をくれ。」と言ったそうです。
親御さんはどういう気持ちで彼を育てたのでしょうか、彼の口癖は「自分は大学を出ていないから。」というものでした。
致命的なミスを繰り返す常習犯。
「腹を立てず、不足の思いを致しません。」
しかし、なぜ小学校すら出ていない人間を受け入れる・・・・よく、その高校の「公民」=社会課の先生は卒業させたものです。
これは師=学校の先生の恩を、親の恩を忘れた結果だと思います。
小学校の社会課が出来ない社会人、これは自慢する事でしょうか?
総務省と言う社会への恩を忘れた、自分の専門お勉強をほっぽって、私法の仕事を、示談交渉をやった。
彼は「九州には国立大学がある、国立大学を超えた私立大学は無い。」という主張の持ち主で、医学部が無い大学は大学出は無いと言うのが主張です、早稲田大学は大学出は無いと言い切っています、偏差値が低いと言っています。
しかし、私は九州には国立大学法人は知っているが、いまだ国立大学があるのか?独立行政法人ではないのかと聞いていますが。
私は国立大学の存在をしらないと言いふらしているそうです。
国立大学法人九州大学・東京大学(平成16年までには)????
彼はつい最近まで行政書士会の副会長をやっていた行政法の権威中の権威だと・・・・本人が言っています。
私は、倫理を実践した人とそうでない人とは違うように感じます、結果ガです、・・・。
これは今科学が証明しています。
中島敦氏の「山月記」の世界です。
若き日の思い、それは「青雲の志」です。
しかし、必ず失敗し、挫折します、そして助かる人は決まっているような気がします。
彼のように生きていても死んでいてもどうでも良い存在よりも、苦難を背負って生きる生き方、これこそ真の人生なのです。
皆さん三つといわず恩を忘れず、正しい有意義な生き方を模索しましょう。
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2011年08月03日

ヒットラーと日本の倫理




一、まず、文化とは「経済」の果実であると思います。
この点、旧通産省=経済産業省は社長の系図を「創業者、二代目、銀行家、天下り、」と定義し、創業者は四代・五代目に芸術家が生まれる・・・といわれていました。
文化とは経済的繁栄を迎えた果実、結果なのです。
二、次に、御著書のように漠然としてとらえどころが無いといいつつも、文化とは「人間が自分の属する社会から、後天的に習得したものであり、社会を通じて後世に伝えていくもの」、いわば「社会的遺伝」だという解釈がほぼ一般的なものとなっています。
例えばお辞儀をする、握手をする、手を挙げる、抱擁する、頬に接吻する鼻と鼻を擦り合わせるなど、挨拶の形は様々です。
その違いは、それぞれの社会が持っていて、後世に伝える「遺伝子」の違いによるものだといわれています。
また、前師は文化とは「生活をより善くする努力」とその成果の全て、善き人間活動の全てであると、実践的に捉えています。
即ち、およそ、人間の暮らしをより善く豊かなものにするための営為はみな、文化であり、その意味で、文化はすぐれて今を生きる私達の問題なのです。
文化をどうとらえるか。社会の未来にかかわる問題なのです・・・・と結んであります。
三、しかし、「政治」は文化を利用しています。
文化大革命や文化闘争と、中国共産党は文化の概念を変えようとしています。
即ち、外国のや中国古来の文化や、中国国民党の文化=考え方、政治性とに至るまで間違っているとプロパガンダをやっているわけです。
御著書にもありますように、中国共産党の考え方が全て正しいと人民=国民に教え込むためにです。
これらは『洗脳教育』と呼ばれ「日本人は鬼だ、東洋鬼」だと公的教育で教えられています。
20世紀はフロイト心理学の時代でもありました、フロイト心理学は無神論者に徹底的に利用され、独裁政治を生み出す科学技術になっています。
しかし、21世紀には解消されなければならないと思います。
倫理や個人の人格と尊厳、即ち個人主義ではない自由主義が重要になってきます。
四、しかし、元来中国は御著書にもありますように中華思想の国でした。
中華思想とは元来御著書にもありますように「文化して改めず、然る後,誅を加う」(『説苑』)に良く現れています。
しかし、これは中国が穀倉地帯を多く有し、経済的に豊かで、他の騎馬民族に優位していた時代の話です。
南に蛮族、北に夷族、西に鍬族がいると考えていた時代の話です。
これが、中華思想です。
しかし、いまや無神論者の共産主義の国、周りは文化的な優秀な国家ばっかりです。
そこで、「洗脳」といういわば「兵器」を使っています。
いまや、世界の「盗賊」で国連常任理事国中華人民共和国です。
これと仲良くする日本人はさしずめ窃盗犯の手先と言ったところでしょうか?
文化的摩擦は、アメリカの自由主義と多くがぶつかりました。
イスラム原理主義もその一つです。
しかし、逆に何でも受け入れるという姿勢はときに悪い結果を生みます。
その前に、自分達の文化とは何だったか、価値観を考えてみるのも重要なのではないのでしょうか?
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2011年07月31日

喜んで進んで働きます



一、「恩を返す」と言う言葉には感銘を受ける部分があります。
現代社会では今、精神異常者=末人とどう向き合うかが問題になっています。
まず、精神異常者は実は金銭的にも恵まれた環境の中にあるものが恩を受け、感謝の気持ちを持たない人間がなりやすい傾向があります。
そして、どこか屈折していて被害妄想を持っている人間が陥りやすいです。
ここに、「行政」という分野の専門家でありながら、行政を裁判所と言い張った行政書士会副会長の実例を分析したいと思います。
彼は、田舎の市議会議員の息子で、その地区はかつて経済的に恵まれていましたが時代の変遷でよく、不況を聞かされる地域に当たります。
そこで、商業高校を卒業し、地元の信用金庫に就職していました。
一方、私はめでたくトップ校に入学し、文武両道の道を歩んでいました。
しかし、世の中間違った平等主義で「そんなに俺が悪いのか。」やることなすこと批判を受け、憎しみからか誰もほめる人間はいませんでした、出来て当たり前、厳しさのみが与えられる世界でした。
大学入試は共通一次試験が始り番狂わせの世代でもありました。
そして大学は受験に失敗し、入社した会社が一部上場企業でしたが、これまた厳しい会社でした、あらゆる点において。
苦難が次から次にやってきました人生です。
しかし、友人から聞きましたが、中堅高校は強い運動部に入らなければ女の子とデートして、中堅大学に進み何不住ない青春時代を送っていたのです、彼らが平等を捨てられない理由が良くわかります。
一度やったら止められない民主主義=「平等」です。
二、次に、私は行政書士は1回の受験で合格しました受験勉強時間0時間でした、試験場で寝ていた思い出がありますが。
そして開業する意思はありませんでした。
しかし、ある大手生命保険会社を退職してしまい、苦しんだ挙句に、「易」で見てもらって開業しました。
開業して思った事はこの資格は資格取得に比べて実務が非常にむづかしく、とても素人の手には負えない代物でした。
会社総務部のエリートの分野の業務になります。
特に、トップシークレットになる、「許認可」です。
そこで根底からの勉強のやり直しを迫られました。
そんな時、専門学校の行政書士講座の講師の話が来てOKしました。
そしたらなんとハローワークの行政書士講座の話も来ておおわらわでした。
人間厳しい生き方、なんと、福岡県庁の仕事ですから手を抜くわけにも行かず、知り合いからは「年収1,000万円ぐらい貰いよろうもん。」とからかわれましたが、・・・・・の報酬で、限界まで頑張りました。
これは本当にきつかったです、雇用保険受給者ですから最良のカリキュラムを、・・・・、そして終わってから緊急入院(胃潰瘍)してしまいました。
各所各所で思いますのは「恩」です、指名してくださった理事長・そして県知事への恩、そんなハードな中人間は働いていかなければならないのです。
当然、兼子教授も手伝ってくださいました。
恩に報いなければなりません。
三、しかし、彼は楽でお金になる仕事ばかり、遂には示談屋の仕事に手を出していたみたいでした。
違法なことばっかりやっていたので私は注意しました。
しかし、事もあろうに自分お名前を勝手に使って、そして私を無実の罪で刑事告発したり私を陥れることをやってきました。
そして、自分は偉いと行政書士は「登記」が出来ると講習会を開き、登記ができるという馬鹿を有名な先生と会の役員に指名し、あらゆる悪行を行ってきました。
そして私を陥れることを積極的に行い、「福岡県行政書士会の役員会のものです、あの男(私の事)は頭がおかしいから注意してください。」と触れ回っていたそうです。
皆さんこれが政治家の実態なのです、彼らに騙されてはいけません、調子の良いことばっかり言って国民を騙す天才です。
ここで、苦しい仕事苦難の人間と何も苦しみを与えられない人間が平等だったらおかしいです。
彼は遂に「自己破産業務」に手を出し、弁護士会に知れることになりました。
そして行政書士制度改廃の危機にまで至っています。
まさに歴史に残る末人です。
こういう人間は他人の言葉尻、揚足を取ってきます。
「お前が何を言った、かにを言った。」・・・・と。
行政書士制度と言ういわば「恩」を仇で返した恐ろしい「忘恩の賊」です。
今では完全な精神異常者で知れ渡っています。
四、しかし、そんな中今回のテーマですが、私的やくざは助かる。
即ち、悪人正機説ですが「善人なお持て往生をとぐ、いわんや悪人をや。」
これら末人になっているのは札付きの地区の市会議員の息子が多いのです。
彼らの地区はとにかく窃盗・恐喝が多い地区です。
その地区の人間は教育され「反省」し立ち直って行っているのです。
理由は働くからなのです。
しかし、彼らは我々から見るとやくざ地区、しかし親が市議会議員と言う事で優遇されて育っています。
共通に頭はバカ、しかし、就職は良い、しかしその地区ですから風習がやくざなのです。
本人達はそうではありませんが「やくざがなぜわるい。」と言っているみたいです。
ここに、苦難が人間を育てる要素があると感じました。
即ち、やくざ地区の私的やくざは特権等守られていませんから、すぐ捕まり教育されます、それがかえって悪しき慣習の解除につながっているのです。
立ち直っている人間は多いと思います。
苦難は幸福の門(苦難福門)という言葉はうなずけます。
しかし、悪習を得ていて苦難なく育った人間はわがままで、我々の常識とはかけ離れています。
田舎の市議会議員などは公的やくざそのものです。
この事例を見て、私は苦難続きですが「苦は楽なり。」今日も喜んで進んで働こうと思っています。
末人=精神異常者にならないように
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天下統一




一、今NHKで大河ドラマ「天地人」があっているこれは家臣樋口氏の一生(直江家)を通じて上杉家を描いたものですが、上杉謙信といえば「天と地」とで我々40代後半の思想は固まっており、川中島を中心に考えがちだ。
二、次に、NHK大河ドラマといえば高視聴率で有名であるが。
大河ドラマの高視聴率の背景には「同質性」があると思う。
そのドラマを見て、「ああそうだ、自分もそう思う。」と感銘、また「共感」するところにあると思う。
多くの偉大な「易経」家が携わっているのだと思う。
今回の天地人では上杉家の家督相続争いから、上杉景勝と同じく家督を継承した武田勝頼とが織田信長と言う新鋭の登場により両者が同盟するがポイントになっていると思う。
八幡大菩薩といういわばギリシャ神話の神を信仰し、日本古来の「仁」を旨に領地を治める上杉謙信、そして関東管領の上杉家の跡取りをもって戦国時代を治めようとした上杉謙信、それは古代中国の儒学の教えであり、かつて「天」と称された。
三、これに対し、武田信玄は、同じ中国の兵法をもって計略と、武力で天下を統一しようとし、軍師山本間助に代表されるように、最強の騎馬軍を先頭に「風・林・火・山」と言う4部隊が統率の取れた動きをすることで有名で「地」と評された。
両者は、真っ向からぶつかり川中島で何度も刃を交わした。
この正反対の思想が、カトリックと鉄砲をたてに室町幕府を滅ぼし、天下を統一しようとする織田信長軍に対峙する。
この時代の象徴的なことは1518年から日本は仏教的に「釈迦入滅後2,000年=末法」に入っていたことである。
(そして、その前の年、ドイツ=神聖ローマ帝国でルターによる宗教改革が始っている、この因果は?)
いわば戦国時代であり、この点仏教をたてに国家建設を考えていた、織田信長の鉄砲隊に武田騎馬軍は長篠の戦で徹底的に破れた・・・ということである。
御仏の加護のない時代の話である。
しかし、上杉謙信はそうではなかった、中国古来の儒学は江戸幕府で朱子学として君臣の教えとして湯島聖堂で確立するが、「仁」という教えは西洋のカトリックに勝っていた。
この後、両者は豊臣方につき豊臣秀吉の小田原征伐=北条氏の滅亡で1590年に天下が統一され、一時期は平穏を得る。
しかし、関が原の戦い(1600年)で石田光成方西軍に付くために領土を奪われ米沢の30万石に押しやられる。
四、このストーリーを選択した現代日本社会とは一体何なのだろうか。
もし、強大な新しい思想の元に政治が自民党と民主党が合体するとすれば・・・・・、ありえる話である。
今、アメリカ合衆国は共和党が政権を奪われ、民主党のアフリカ系オバマ氏が大統領を務めている。
若し彼が織田信長公だとすると・・・・・仏教を白人に例えると彼には天下を治められないと考える。
白人に代わるプロテスタントを主体とする民族が、オバマの側から(有色人種)から現れることになる。
儒学は兵法・法家に勝り、プロテスタントはカトリックやイスラム教に勝る・・・・と言う事である。
プロテスタント国、オランダと同盟を結び上杉謙信公の思想、儒学=朱子学を確立し日本を統治した徳川幕府は「支配の正統性」を有していたと考える。
今、日本には「仁」に基づく憲法改正が早急に求められると考える。
天下統一のために。
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